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2011年8月

2011年8月 6日 (土)

マイボイスコムの生い立ち

当社は伊藤忠系シンクタンクの社内ベンチャー制度で1999年にできた会社です。社内ベンチャーの会社ってあまりないと思いますので、少し紹介させて下さい。

私が15年ほどリサーチャーとして働いていたCRC総合研究所は、伊藤忠商事や第一勧業銀行が主な株主で、科学技術計算、情報システム、シンクタンクを主な事業とする会社でした。設立は1958年と古くて、最初は伊藤忠電子計算という社名でした。

従業員は1,000人ほどで、2002年には東証1部になりました。そして、2006年に兄弟会社の伊藤忠テクノサイエンスと合併して、伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)という会社になっています。

リサーチは労働集約的で、業務が個人のノウハウに依存するし、なかなか生産性向上が図りにくい仕事です。情報システムなどと比べると収益性が低く、大会社の経費を負担すると利益が出すのが難しいという課題がありました。

また、担当役員はリサーチなどやったことのない元商社マンとか、元銀行マンが3年おきに変わります。ある時に会社の方針で、50人の組織を一気に120人位まで拡大したのを切っ掛けに、大きな赤字部門になってしまいました。

しかし、現場には全く危機意識がありません。親会社があるし、大赤字の原因も親会社から来た役員がやったことでしし、赤字でもシンクタンク部門はなくならないと思い込んでいました。何とか黒字にしようという機運もなく、大きな赤字は続きました。

それから数年後に新しい社長が伊藤忠商事から来て、「集中と選択」、「IT事業に特化する」という経営方針が出されて、シンクタンク部門はリストラされることになりました。

シンクタンク部門で働いていた100人ほどの社員は、社内異動や退職や解雇で、あっという間にバラバラになり、その当時はA社長は本当に酷いことをする経営者だと思ったものです。

でも、その後、A社長と直接接する機会もでき、自分も会社を経営する立場になって考えると、上場企業の社長としては適切な経営判断だったと思いますし、ずいぶんと悩み苦んだのだろうと思います。

リサーチの仕事は「生活者の声をしっかり市場に反映させる」、「国民や住民の意見を行政に反映させる」という重要な社会的役割があります。

そして、リサーチャーは、社会の先端の情報に触れることができ、お客様の課題解決に係わることができ、自分のノウハウや創意工夫、熱意でよい仕事ができる。面白くて遣り甲斐のある仕事です。

しかし、個業の集まりで規模の効率化が働きにくいため、大きな会社が取組むには難しいフィールドだったのかもしれません。

〇伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)の沿革

http://www.ctc-g.co.jp/corporate/history.html

〇マイボイスコム http://www.myvoice.co.jp/

 

2011年8月 7日 (日)

リサーチ部門のリストラ

会社のリストラでこれまで積上げて来た仕事がなくなる・・・。

そんなことは今の時代では当たり前のように起きていることなのでしょう。

自分も15年近く携わってきたリサーチの仕事がなくなり、IT特化という会社の方針で、新設されたITコンサルティング室の部長補佐になりました。でもITやシステムなんて全然分からないし、興味もないし、これでコンサルなんかやっても役には立たないだろうと実感しました。

やっぱり20代でどんな仕事に携わったかが重要です。20代で経験した地道な仕事が基礎になり、そこに30代、40代での色々な経験を積上げていくことで、仕事の実力が決るのだと思います。

また、リサーチ部門がリストラされて1番辛かったのは、自分なりに一生懸命に仕事をして、長い年月をかけて信頼をいただき、色々なご相談を頂けるようになったお客様に、「会社の方針でもうリサーチの仕事ができなくなりました。申し訳ありません。」と言わざるを得ないことでした。

私の上司の室長も50代で商社の鉄鋼部門から来た方で、自分よりもITの「あ」の字も、コンサルの「こ」の字も分からない人でした。その室長からとにかく何でも良いからITを勉強しろと言われて、本を読んだり、高いセミナーにも出ましたが、実務経験がないとやっぱり駄目でした。ちっとも頭に入らないし興味も沸きませんでした。

30代後半から、これまでの経験やネットワークが活かせない世界で生きて行くのは、なかなかしんどいことです。毎日が何をやっていいかも分からず、自分の無力を感じる毎日でした。

そして、やっぱり自分が好きで自信もあり、色々と経験もしてきたリサーチの世界に戻りたいという思いが強くなりました。

人生は面白いもので、捨てる神あれば拾う神もあるんですね。悶々とした生活を半年ほど過ごした頃に、ネットリサーチを始める切っ掛けがやってきました。

2011年8月13日 (土)

インターネットで調査?

ITコンサルティング事業室は立上げたばかりで、社内の寄せ集め的な組織でしたので、あまり仕事もありません。上からは「ITを勉強しろ」と言われるけど、目の前に仕事がなければ勉強するのもなかなか難しいものです。

毎日、これで良いのだろうか?と思いつつ、良く分からない本を読んだり、あまり興味の湧かない受講料の高いセミナーに行く毎日でした。

これまではリサーチの仕事が忙しくて、10時、11時まで働いていたのが、夕方の5時にはちゃんと仕事が終わります。正確に言うと1日に4時間くらいは本を読んで、あとは社内をブラブラしていたので、ちゃんと働けば2時には仕事(勉強)が終わるような毎日でした。

こういう生活って一見楽そうですが、やっている本人は大変に苦しいものです。

本来はやれる仕事のフィールドがあり、そこではお客様の役に立ち必要とされていたのに、その仕事はやってはいけない。そして、目の前にある業務には興味も感じられない。

こういう環境だと人は自信がなくなり、気持ちに張りがなくなり、毎月のように風邪をひくようになります。人間の体は不思議なものです。10年分の風邪を半年でひいてしまいました。

そんなもどかしい生活でしたが、ある雑誌を眺めていたら「これからインターネットが今後普及してきて、マーケティングにも活かされるようになる。」ということを読みました。その中で、米国のVote Links というサイトで、世の中の話題や問題についてインターネットで世論調査の投票をして、結果を公開しているという記事が面白いと思いました。

インターネット上で一般の生活者の意見が取れるのかあ・・・

でも本当にまともに答えてくれるのだろうか?、回答者は何が目的で答えてくれるのだろうか?、母集団が明確でない代表性のない回答に意味があるのだろうか?

そんな疑問は感じましたが、「インターネット上で一般の人の意見が聞ける。回答してくれる。」ということがとても不思議で、新鮮な印象を覚えました。

2011年8月14日 (日)

ビジネスプランコンテスト97

これまでの自分は色々なリサーチの課題に取組み、郵送調査、訪問調査、ヒアリング調査、グループインタビュー調査、観察調査、文献調査、統計分析調査など、色々な調査手法も経験していました。

実査をしっかりやることはリサーチの基本ですが、郵送でも訪問でも実査は大変な力仕事で、人の労力も時間も費用も沢山かかります。それがインターネットで効率的にできたら素晴らしいと感じました。

また、この頃に色々なお客様のマーケティングをお手伝いしていて、企業と生活者が双方向性のやり取りをしながら両者で考えて行く、「情報共鳴型マーケティング」を創って行くことが大切で、インターネットでその様な環境が作れたら面白いと思いました。

毎日夕方の5時には仕事が終わる恵まれた環境にいましたので、インターネットは何で、米国で動き出したインターネットマーケティングについて少し調べてみることにしました。

そんな時に日経新聞の小さな記事で、社団法人ニュービジネス協議会が「ビジネスプランコンテスト97」のビジネスプランを公募していることを知り、丁度良いので今考えていることをプランにまとめて、このプランコンテストに出してみることにしました。

「ネットフォーカスグループの組織化による情報サービス事業~生活者と組織のコワークを促進するネットワークの形成を目指して~」

これがその時に考えたプランのタイトルです。

考えたサービス内容は今のネットリサーチそのものですが、97年の当時はネットリサーチも、インターネット調査や、インターネットリサーチという言葉もなかったので、こんな長いタイトルになりました。

このビジネスプランが書類審査と、7人の審査員の前でのプレゼンを経て、「優秀賞」を頂くことができました。「あれ、これはビジネスになるのかもしれないな。」、「新しいリサーチの形になるのかもしれないな。」、そんなことを具体的に考える切っ掛けになりました。

そういう意味で、この様なベンチャーを支援のイベントって大切だと思います。このプランコンテストは、私の人生にとって大変ありがたい存在でした。

この時に頂いた小さなトロフィは今でも大切にしています。

でも、副賞でいただいた20万円は1ヶ月ほどでほとんど友人と飲んでしまいました。

2011年8月15日 (月)

起業家の方々

「ビジネスプランコンテスト97」で有難かったのは、有楽町の東京国際フォーラムで受賞パーティまであり、色々なベンチャー起業家にお会いする機会があったことです。

こちらの受賞式はベンチャー企業を立ち上げてりっぱに経営している方の表彰がメインでしたが、そこには新聞や雑誌によく出てくる有名なベンチャー経営者の方々が目の前に沢山おられました。

日本マクドナルドの藤田社長、ユニチャームの高原社長、ドトールの鳥羽社長、CSKの大川社長など、いつも雑誌で拝見するきらびやかで有名な経営者が目の前におられます。

勇気を振り絞ってご挨拶に伺うと、皆さんとても明るく、エネルギッシュで、魅力的な方々ばかりでした。

藤田社長には学生部門で賞を取った慶應大の大学院生と2人でご挨拶に行きました。藤田社長が書かれていた「ユダヤの商法」等の本は何冊か読んでいたので、ドキドキしながら話を伺いに行きました。

すると藤田社長が彼女が慶應大の学生だと聞いた時に、「そうかあ君は慶應の学生かあ。私は東大法学部だったけど、回りは役所で働くことしか考えていない馬鹿な奴が多くてちっとも面白くなかった。自分も慶應の様な自由な学校に行っていれば、人生が変わっていたかもしれんな。」と仰いました。

それで私が「もし藤田社長が慶應に行っていたら、今頃は何をされていたと思いますか?」と質問をさせていただきました。

藤田社長はうーん、と5秒くらい考えてから、「結局は今と同じ商売をしていただろうな。この道しか考えられないなあ。君たちも商売の世界でしっかり頑張りたまえ。」と言って豪快に笑っておられたのを良く覚えています。

とても人間的に大きくて魅力的な方でした。話を伺ったのはおそらく5分ほどだったでしょうが、1時間くらい話をした様な興奮を覚えながら帰路に付きました。

藤田社長は2004年にお亡くなりになりましたが、今でもその時に頂いた名刺を大切にしています。

こんな素晴らしい出会いも「自分の好きな仕事を立ち上げてみたい・・・」という気持ちを強くしてくれました。

2011年8月17日 (水)

ヘッドハント

インターネットを使ったリサーチの事業をやってみたいなあ・・・

でも会社ってどうやって作るのだろう?

そもそも事業を始めるにはいくらお金が必要なのだろう?

急に会社を作ろうと思っても、普通は何をどうしたら良いか分からないですよね。こういうことは考えれば考えるほど不安になるもので、少し考え出しただけで直ぐに煮詰まりました。

そんな時に、会社に「実は私はXXXXというヘッドハント会社の者です。高井さんのキャリアを必要としている会社があります。是非、1度話を聞いてもらえませんか。」という電話がありました。

こういう電話って本当に突然会社にかかって来るんですね。どんな話か分かりませんでしたが、自分は仕事がなくなって中途半端な状況でしたので、「では、お話だけでも・・・」と小さな声で答えて指定の喫茶店に行きました。

そこには60歳過ぎの大柄で温和そうな紳士が待っていました。ある金融系シンクタンクのマネジャーのお話でした。なるほどそのポジションなら今までの経験も活かせそうです。「興味があるので具体的な話を聞かせて下さい。」と話を進めました。

先方の役員と3度ほど面談をして、是非来て欲しいということになりました。マーケティング分野を強化するために経験者のノウハウが必要で、私の経験はピッタリだと言って頂けました。そして、提示された条件も現職を上回るもので全然悪くありません。

この話に載れば自分が主体的に働けるリサーチの世界に戻れるんだなあ、とちょっと安心しました。

しかし、「インターネット上のフォーカスグループの構築による情報サービス事業」の構想と、少し前にお会いした起業家の皆さんの魅力的な表情や、藤田社長の「結局この道しかなかったなあ」という豪快な笑い声が頭から離れていませんでした。

生活者の声をインターネットで集めて、企業にお届けする。生活者と企業のインタラクティブな情報のやり取りの中で、情報共鳴型マーケティングのお手伝いする。そんなサービスを作ってみたいという気持ちだけが大きくなっていました。

それで、金融系シンクタンクの方には、「興味はあるのですが、しばらく考えさせて欲しい。」と最終返答を延ばしていました。

2011年8月19日 (金)

呼び出し

ヘッドハント会社の情報管理はしっかりしていると思ったのですが、私の様に3ヶ月ものらりくらりを続けていると色々あるみたいです。

ある時、経営企画部長のIさんから急に呼び出しがありました。行ってみると「高井さん、何か会社に隠していることないかな?」と言います。「何のことでしょうか?」と聞くと、「XXX総研から君が欲しい、という申し入れが来て、A社長が引き止めるように言っている。」というのでした。

もちろん会社には内緒でプライベートな時間に動いていたのに、突然、自分の転職話が経営企画部長から出たら焦りますよね。「何でばれたの?、誰がばらしたの?」と頭の中は一瞬で真っ白になりました。

私の態度が煮え切らないので、先方のシンクタンクかヘッドハントの会社が情報を流してしまったのです。(ヘッドハントもこういうこともあるので注意した方が良いですよ)

でもばれたのならしかたないと、言いたいことを言わせてもらいました。

「会社の方針や方向性と合わないで。だいたいA社長は酷いです・・、私はリサーチャーをやるためにこの会社に入って頑張ってきたつもりです。やっと築いたお客様の信頼に対して不義理をしなくてはいけない気持ちが分かりますか?、私にはITコンサルなんてできませんし、やる気もありません・・」

「この会社でやれることないのか?、できるだけ希望に沿った異動を考えるけど。」

「こんな会社にやりたい仕事なんてありません。リサーチの世界で生きて行きたいので、申し訳ないですが辞めさせて下さい。」

「今から銀行が作ったシンクタンクに行っても面白くないんじゃないか。」

「でも今よりはずっといいと思います。」

「あまり君にとって良い選択じゃないな。他には本当に君のやりたいことはないのか?」

・・・・・・

「実はインターネットを活用した情報サービスの構想で優秀賞を頂きました。その事業をやりたいという思いはあるのですが・・」

「優秀賞を取るなんてすごいじゃないか。その事業プラン、俺にも見せてくれよ。何か力になれるかもしれないからさあ・・」

という流れから、I部長との話しが始まりました。

2011年8月20日 (土)

社内ベンチャー制度って

「面白いプランじゃないか。応援するからCRCの新規事業でやってみろよ。」

「CRCのコストやスピード感覚では無理ですよ。」

「じゃ子会社を作ってやるのはどうだ。」

「もう親会社に振り回されるのは嫌なんですよ。」

「じゃ、会社でベンチャー制度を作ってやる。それで挑戦してみたらどうだ。」

「社内ベンチャー制度って何ですか??」

「丁度社内活性化のために必要だと思っていたんだ。俺がいい制度を作ってやるからやってみろよ!」

実際にはI部長と2人で4、5回やり取りをしたのですが、こんな話の流れで「社内ベンチャー制度」を作ってもらって、ネットリサーチ事業を始めることになりました。

ヘッドハンティング会社が意識的にリークしたのか、先方の総研が先走ったのかは分かりませんが、人生なんて本当に分からないものです。

どうやって会社を作ったら良いか分からない、会社を創る資金が十分にない、システムをどこに頼んだら良いか分からない、事務所も見つけなくてはいけない、そんな課題のほとんどが「社内ベンチャー制度」でやらせてもらうことで一気に対応方法が見えました。

I部長は、その後、伊藤忠商事の部長に戻って、ファミリーマートのUSA社長や常務をやって今年退任になりました。その後も懇意にさせていただいて、退任時にも会食をして、その時のお礼を申し上げることができました。

Iさんも私の人生の恩人です。普通は部門のリストラという事情はあっても、あんなに勝手なことを言う社員の話を粘り強く聞いてくれて、新しい制度まで作ってくれたことに心から感謝をしています。

こういうこともあるから、人生は面白いのだと思います。

2011年8月21日 (日)

事業化の準備

I部長が作ってくれた社内ベンチャー制度で、今で言う「インターネット調査事業」にチャレンジすることを決めました。

お誘いを受けていた金融系シンクタンクの経営企画部長に説明したら、「君は絶対に騙されているよ。会社はそんなに甘くはない。君1人のことで新しい制度を作ったり、新しい会社を作ったりすることはないよ。そんな危ない話に乗って、この話を断って本当に良いのですか??」と忠告されました。

でも、I部長は約束どおりに社内ベンチャー制度を作ってくれました。そして、その制度で会社を作るから、A社長と、K副社長に事業プランを直接説明するように言われました。

しかし、トップのお2人に事業プランを説明に行くと、思わぬ反応が寄せられました。

A社長は「高井君なあ、僕は真剣に君のプランを読んだけど、この事業プランが本当に商売になるのかどうか分からんかった。」と仰ります。

そして、K副社長は「高井君ねえ。この事業は絶対にうまく行かないよ。これは止めた方が良い。この事業がうまく行かない理由は4つある。」と言って、できない理由を論理的に説明してくれました。

1)インターネット上に人は個人情報など恐くて登録しない。

2)もし登録してもいい加減な人がいい加減な答えしか書かない。

3)いい加減な答えをいくら分析しても何も役に立つ情報にならない。

4)役に立たない情報に企業はお金を払わない。

だから商売にならない・・・というものでした。

K副社長は東大出で頭が良くカミソリと言われていて、IT業界にも精通した方でした。1997年のインターネット環境からするとこれが常識的な見方だったのだと思います。

社内ベンチャー制度はできたものの、それに私のプランを適応するのは時期尚早、1年間は準備をして、その結果を見てから判断するという流れになりました。

分が悪くなるのを見てI部長が援護射撃を打ってくれました。「社長、これからはインターネットの時代で、こういうビジネスは迅速に取組むことが必要なのだと思うのですか・・・」

「いや、I君、わしは彼のプランを真剣に何度も読んだが、本当に商売になるか分からんのだよ。この状況で進むのは危険なので、ちゃんとF/Sをやらせるべきなのとちゃうんか。」と A社長は引きません。

私は頭に血の上るのが分かりました。「これじゃ話が違うじゃないかあ!」と怒鳴ってしまいそうになりました。でもその時に、私の事業プランにA社長が沢山の赤線を引き、色々とコメントの書き込みまでしているのが見えました。

A社長はちゃんと自分のプランを読んでくれている。社長はちゃんと読んでくれているんだ・・・。そう何度も心の中で繰り返していううちに冷静になりました。

社長室を出るとI部長は私を会議室に招いて、「説得できなくてすまなかったな。でも2人とも悪い人ではない。お前のことを考えての判断なのだと思うよ。高井さんなあ、お前の力で爺さん達にちゃんとできることを見せてやれよ。」と仰りました。

A社長がちゃんとプランを読んでくれたという思いと、金融系シンクタンクの経営企画部長が言った「君は騙されているよ。」という言葉が頭の中で交錯していました。

2011年8月22日 (月)

ネットリサーチ会社の準備

A社長、K副社長との話し合いが終わり、4月からインターネット事業部に移り、机1つとPC1台と、300万円の予算を貰って、社内発注で簡単なシステムを作ってネットリサーチの準備を始めることになりました。

そして、しばらくしてA社長に呼ばれて1対1で話をさせていただく機会がありました。

A社長から「新しい部署はどうや、インターネット事業部長にはちゃんと説明してあるからしっかりやるように。」と仰って下さいました。

でも自分は焦っていました。ちゃんとインターネット調査のビジネスが立ち上げられるのか、ちゃんと社内ベンチャーとして認めてくれるのか、そして、本当に会社が作れるのか・・・

それで、私は「これから不休不眠で急いで準備を進めるので、3ヶ月で大丈夫です。7月には会社を作るかどうか審議をして下さい。」とお願いをしました。

でもA社長は「高井くんなあ。そんなに急ぐなよ、事業の準備には急いでも半年から1年はかかるものだ。その位は時間をかけてしっかり準備をしなさい。」と仰います。

でも、私は焦っていましたし、急げば3ヶ月でできると思い込んでいましたので、「いや、社長、寝ないで頑張りますので3ヶ月で線を引いて下さい。それまでには何とかやってみせますので。」と言うと、また「いやいや、半年から1年はしっかり準備をしなさい。」と言います。

「でも社長、私は・・・」と3度目に食い下がった時に、突然A社長が「お前なあ、商売をなめたらあかんでえ。自分は伊藤忠で長いこと繊維の商売をやり、何人も商売で失敗して夜逃げをしたり、家庭を崩壊させたり、自殺したりした人を見ているんだ!、君にそんなことをさせないために言っているのだから、黙って私の言うことを聞きなさい!!」と厳しく言われたのでした。

でもその時は全く納得できませんでした。本当にわからずやなオッサンだなあ。7月までにはしっかりしたF/Sをやってみせるから見ていろよ、という気持ちでした。

簡単なシステムを作ってもらって、モニター募集を開始したのが6月で、その翌月の1998年7月から、今も毎月実施している自主調査の「定期アンケート」を開始しました。

色々と工夫をすることで、モニターの登録者も徐々に増えてきました。そして、調査を依頼するとしっかりした回答が帰って来ました。回収したデータを大切に分析したらちゃんと傾向値も出てきます。コメントも8割以上ありリッチでしっかりした内容であることに驚きました。

そして、以前お取引していた企業の方々から、「高井さんが始めたのなら協力するよ」といってトライヤルの仕事も出してもらえました。

すごいなあ。モニターさんはちゃんと真面目に答えてくれるじゃないですか。そして、企業の皆さんも面白い、結構使えるかもと仰っていただけました。この頃は毎日が驚きと小さな感動の日々でした。

K副社長の仰る4つのできない理由が、1つ1つクリアできてきた思いで徐々に自信もできてきました。

でも、一通り準備が出来たのは1997年の12月でした。準備を初めて9ヶ月も経っていました。

A社長の言っていたことが正しかったこと、世の中には亀の甲より年の功ということがあることを知り、自分のいたならさを実感した9ヶ月でした。

2011年8月23日 (火)

会社設立

9ヶ月の準備期間を経て、K副社長が言っていたネガティブな要因を潰して行きました。

1)インターネット上に人は個人情報など登録しない。→ 色々と工夫をして1万人近く集まりました。

2)登録してもいい加減な人がいい加減な答えしか書かない。→ 色々と検証しましたがちゃんとした分析傾向が出ました。

3)いい加減な答えを分析しても何も役に立つ情報にならない。→ 沢山のお客様に調査結果を見てもらいましたが、面白い結果だとご評価いただけました。

4)役に立たない情報に企業はお金を払わない。→ 20社から小さなお取引をいただくことができました。

「K副社長、4つの課題とも何とかクリアできそうです。」そんな気持ちで事業計画を作り、社内ベンチャー制度で会社を作るかどうかの経営会議に臨みました。

その前に、I部長の後任のK経営企画部長との打ち合わせがありました。「経営会議の資料を用意した。君の計画通り資本金は3千万円で、CRCが7割、君が3割の出資で始める。

CRCがマジョリティだからCRCの名前の付いた社名で、社長はCRCの役員から出して、君は専務ということでいいよね?」、「やらせてくれるなら、何でもかまいません。」ということで原案も決まり、1999年2月の経営会議で20人ほどの役員の前で、事業計画を説明させていただきました。

この時までにはもう絶対にやりたい。ネットリサーチを事業にしてみたい、そして、良い会社を作りたいという思いが強くなっていました。流れによっては土下座をしてでも頼むつもりで経営会議に臨みました。

1人の常務が口火を切りました。以前の上司で、シンクタンク部門を所管していた常務です。「この事業は意義がある。社内活性化のためにも、是非、進めてもらいたい。」

別な常務も「私も賛成だ。インターネットへの取り組みは大切だ。是非、頑張ってほしい。」と言ってくれました。残りの2人の常務も賛成の意見を言ってくれました。

そして、あのカミソリと言われたK副社長も、賛成の意見を、論理的に述べて下さいました。

しかし最後に、A社長が「ちょっと待てよ。K部長、この計画はちょっとおかしいんとちゃうか?」と仰います。

「何故、この会社にCRCの名前を付けて、何故、高井君が社長をやらないんだ。この事業は誰が考えて、誰がここまでやってきたのや。社長は高井君がやり、社名も彼が考えて付けのが筋とはちゃうんかい。この点の修正をすれば自分も賛成です。高井君、しっかり頑張れよ。」そんなまとめでした。

A社長はしっかり約束を守ってくれました。K副社長もちゃんと認めてくれました。会議でA社長の話を聞いた時には、自分は胸が詰まり、涙を堪えるのがやっとでした。

そして、沢山の方々のご理解と応援のもとで、マイボイスコム(株)は1999年7月に設立しました。

どんな会社も設立までには色々な思いや、経緯、そして小さなドラマがあるのだと思います。

あれからもう13年が経ちました。

そして、会社は作るより続けることの方が何倍も大変なこと、会社経営はなかなか思う通りに行かないことを嫌というほど痛感している毎日です。

それでも多くの方々の理解とご支援があってでできた会社ですので、そのご恩に応えるためにも、しっかり頑張って、感謝の気持ちを持って、マイボイスコムを世の中に役立つ良い会社にしたいと思っています。

 

〇マイボイスコム http://www.myvoice.co.jp/

〇会社概要    http://www.myvoice.co.jp/profile/

 

 

プロフィール

フォトアルバム

Takai kazuhisa

伊藤忠系シンクタンクの社内ベンチャーで、1999年にネットリサーチ会社のマイボイスコムを立ち上げて社長をやっています。会社を作ることより続けること、良い会社を目指して経営することの難しさ日々感じながら奮闘している毎日です。夜は神田や神保町あたりの居酒屋に出没し、休日は自然散策やアウトドアを楽しんでいます!