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2018年7月

2018年7月 3日 (火)

社内ベンチャー制度

伊藤忠さんから出向していた経営企画部長の井上史郎さんが良い「社内ベンチャー制度」を作ってくれました。

そして、麻生社長、北畠副社長の2人に事業プランを説明するように言われました。

そうすれば事業をやらせてもらえると聞いていたのですが、2人の反応は少し違っていました。

カミソリと言われるほど頭の切れた北畠副社長は、「高井君、この事業は失敗すると思うからやめた方が良い。その理由は4つある。1つは、、、」と失敗する理由を理路整然と説明してくれました。

そして、麻生社長は「高井君、私はこの計画を何度も読んでみたがよく分からんかった。だから自分が判断できるように1年間の時間をやるから、その間でしっかり準備をしてみなさい。」と言ってGOをくれません。

井上部長が「いや社長、この事業は、、、」と援護射撃をしてくれても2人はうんと言いません。

これは話が違うと頭に血が上りそうになったのですが、麻生社長の手元にある私の事業計画に沢山の赤線やコメントの書込みがあるのが見えて、それで社長は本当に真剣に読んで考えてくれたんだと分かって心を落ち着かせました。

そして、1998年4月にインターネット事業部に、机1つと、PC1台と、300万円の予算をもらい事業の準備に取り掛かりました。

土日も殆ど休まずに毎日夜中の11時頃まで働いて、7月までに小さなシステムとパネルを用意して、1人で営業に走り回って20社のお客様も開拓しました。

昼間は営業に走り回り、夕方から提案書を作り、夜中に調査票やレポートを書いて、土日に事業の準備をするような生活でしたが、12月頃までにはだいぶ事業の形が見えて来たので、もう1度、事業計画をまとめました。

今度は物もあり、サービスもあり、お客様も、売上もできたので、自信のある事業計画を作ることができました。

そして、1999年2月の経営会議で承認をいただいて、1999年7月1日にマイボイスコムを設立することが決まりました。

その時の経営会議では5人いた常務取締役の全員が賛成の意見を述べてくれました。

私を良く知らない常務まで何故か「やらせるべきだ」と賛成の弁を述べてくれました。

麻生社長、北畠副社長からも賛成の意見と、しっかり頑張れと激励をいただいて、その場で涙が出そうになるほど嬉しかったのを今でもよく覚えています。

どんな会社も創業までには、色々な背景や流れや覚悟があるのだと思います。

沢山の方々の信頼と、善意と、ご支援のお陰で当社ができ、20周年に入りました。

特に会社設立前からずっと一緒にやってきてくれた岡島さんや、2年目から参加をしてくれた服部さん、永森さん、明石さん、藤井さんには感謝しきれない想いもあります。

そんなことに感謝をしながら、現在の当社の実態も正しく捉えて、マイボイスコムの未来を考えて行きたいと思います。

2018年7月 1日 (日)

お陰様で20周年

私がCRC総合研究所の社内ベンチャーで会社を設立して今日で20周年になります。

これも社員の皆さんが頑張ってくれたお陰ですので、心より感謝いたします。

皆さん、ありがとうございます。

20周年の日なので少し設立時のことをお伝えしたいと思います。

CRC総合研究所は、元々は1958年に伊藤忠電子計算として伊藤忠商事さんから生まれ、その後、センチュリリサーチセンタ(CRC)という社名になり、CRC総合研究所、CRCソリューションズになって、10年ほど前に伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)と合併しました。

私がいた頃は、シンクタンクと、科学技術計算、情報システムの3つの事業をやっていて、従業員も1,000人くらいいる技術者集団の会社でした。

私はそこのシンクタンク部署でリサーチの仕事を13年続けていて、それなりにお客様も増えて、実績も上げて、リサーチは面白い仕事だなあ、と思いながら結構頑張って働いていました。

それが会社の経営方針で1996年にリサーチ部門がリストラされ、沢山の同僚が解雇にもなり、自分はITコンサル事業室の部長補佐に異動になりました。

ITコンサルは全く経験も興味もなく、37才から新しい分野に挑戦しても一流にはなれないだろうと焦りました。

どうしてもマーケティングに関わる仕事がしたいと悩んでいた時に、米国でインターネットが普及し始めてマーケティングも大きく変わるという記事を読み、それがマーケティングリサーチに活かせないかと考えました。

そして、社団法人ニュービジネス協議会主催の「ニュービジネスプランコンテスト97」があることを日経新聞の記事で知り、妄想していた考えを急いで事業プランに纏めて提出しました。

それが書類審査とプレゼンを通して、社会人部門1位の優秀賞を受賞したのが、これを事業としてやってみたいと考えた1つの切っ掛けでした。

東京国際フォーラムで開かれた授賞式には、マクドナルドの藤田田さんや、ユニ・チャームの高原敬一郎さん、ドトールの鳥羽博道さん等の有名な大創業者もいて、それぞれの方と1対1で話をすることもできてとても刺激を受けました。

もう1つは、その頃は私から困ったオーラが出ていたのでしょうか、某金融系シンクタンクからヘッドハンティングを受けたことです。

役割はマーケティング関連のマネジャーで、とても良い条件の提示をいただきました。

これなら今までのリサーチの経験も生かせるし、安定した会社でしたので家族も安心だと思いました。

しかし、職場に行ってみると9割以上は銀行からの出向者で、その雰囲気に違和感を覚えて踏み切れません。

そして、長く返事を保留していたら、そのシンクタンクからCRC総研に申し入れをされてしまいました。そんなことありえないと思うでしょうが、ヘッドハンドの会社は成約してなんぼなのでいざというと色々やるようです。

その話しが社長まで行って、経営企画部長と何度も話をするうちに、「ニュービジネスプランコンテスト97」で優勝したことや、インターネットでリサーチをする事業のことも話しをしました。

それがCRC総合研究所で社内ベンチャー制度を作ってくれる流れになり、1999年7月1日にマイボイスコムが生まれたのですから、本当に世の中は何が起こるのか分かりませんよね。