リサーチャーとの出会い
社内ブログを始めるとは言ったものの、何から書いたら良いか分かりませんので、まず私の仕事の経験や会社が出来た経緯あたりから始めようと思います。あまり華々しい経歴でもかっこよい職業選択でもないので、ぜんぜんつまらないかもしれませんが、ああこうしてこの会社ができたのかという感じで聞いて下さい。
私は大学で筑波大学の農林学類、生物生産組織学専攻を卒業しました。理系と文系の中間みたいなところで生物学から経済学まで適当に勉強できました。筑波大学も出来て5年目で筑波学園都市全体が工事現場みたいなところで、雨の日に女子大生が長靴とジャージで通学してくるところを見てかなりショックを受けたのを覚えています。
クラブは「野生動物研究会」で真夜中に筑波山を登ってイノシシを見に行ったりと、けっこう田舎でワイルドな生活を送りました。いつも採用面接では偉そうに「マーケティングの知識は?、リサーチの経験はあるの?」なんて言ってますが、実は私自身は全然マーケティングやリサーチなんか勉強していないんです。
卒業時は真面目に社会に貢献したい、日本の食糧問題に取組みたいと考えて、国家公務員上級試験を受けて農林水産省に入ることにしました。半年ほど勉強して1次試験は無事受かったのですが、8割通るという小論文と面接の2次試験に何故か落ちてしまい大ショック。自信家の自分が始めて味わう挫折でした。そんな訳で私の社会人は挫折と迷走からスタートしました。ただ今から考えると自分は官僚組織には向かないので、あの時落ちて良かったと思っています。
その後は取りあえず就職はしたものの何か違和感があって身が入らず、しばらく旅に出て仕事って何か、どんな職業であれば真剣に取り決めるかを考えましたが答えはでませんでした。それで自分は何に強いか、何をしている時に楽しいかと考えて「企画力」という軸を選び、自分の企画力が活かせそうな仕事がないかという視点で見つけたのが、リクルート、ソフトバンク、東洋情報システム、センチュリリサーチセンタの4社でした。
私はまだ25歳で元気が良かったためか4社とも内定をもらいました。その時に1番つまらない会社と思ったのが「ソフトバンク」でした。その時のソフトバンクはまだ社員が70人位で、PC雑誌の出版とパッケージソフトの販売の会社で、企画営業職という職種でしたがライトバンで小売店を回ってPC88のゲームソフトを売る仕事でした。ちょうど孫さんが体を壊して社長を引退していた時で、ピンチヒッターの社長とも会いましたけど、全く面白みが感じられない会社でした。あの時に孫さんが社長で、熱く仕事を語ってくれたら22年前のソフトバンクに入って、今頃は孫さんの小指位にはなれたのでは・・・?と思います。人生は本当に分かりません。
最初に行こうと思ったのはリクルート、まだリクルート事件前で銀座8丁目のあのきらきらしたビルが建ったばかりで、電通を抜かすぞ!と飛ぶ鳥落とす勢いでした。今でも覚えているのですが内定したら人事部長が新橋の料亭に連れて行ってくれて「ふぐのコース」をご馳走になりました。銀座のビルには若くて可愛い女性も多くすごくいい会社だなあと思って、是非お世話になろうと思いました。しかし、料亭で自分が企画営業を担当するという「住宅情報」をもらってずっと見ていたら、この仕事って企画力勝負なんだろうか、自分が興味を持って取組めるだろうかと思ったら急に覚めてしまい断ってしまいました。ふぐのただ食い今でも申し訳なく思ってます。
残ったのがセンチュリリサーチセンタ(後のCRC総合研究所)でした。リクルートと比べてCRC総研は日本橋本町の小津本館ビルという古いビルにある地味な会社でしたが、何となく情報そのものを扱う仕事は自由度が高そうで、自分の企画力や行動力で色々できそうな仕事だと思いました。ここではじめて「リサーチャー」という職種と、シンクタンクという業種の存在を知りました。何となく頭で勝負するシンクタンクはかっこいいというイメージもありましたし、またCRC総研の社員は地味ですが真面目そうで、誠実な感じがしたこともプラスに働いて、まあここで良いか位の気持ちで入社しました。
配属先は「計量モデル」を構築してシミュレーションを行う部署で、朝から晩までコンピュータとデータの睨めっこ。「企画力」というより「忍耐力」ばかり求められる仕事で、訳の分からない経済統計でデータファイルを作り重回帰分析をやって回帰式を作り連立方程式を解く毎日です。うまく結果が出ないと2日位連続で会社に泊まって徹夜でコンピュータを動かしていました。その時はやっぱり銀座のリクルートだったかなあと後悔しました。
本当に人生は分かりません。迷いと選択と後悔の連続のような気がします。
コメント