長く仕事をしていると泣きたいような話は誰でもいくつか持っているものです。昨日ブログを書いていて「オクラホマ州の副知事」の話を思い出しましたので、私の若い時の「泣きたい話」の1つとしてご紹介します。
私がCRC総研に入った頃に「オクラホマ室」という組織がありました。伊藤忠さんがらみでできた組織で、オクラホマ州に日本企業の直接投資を誘致する仕事をやっていました。伊藤忠商事から来た越後室長という50代後半の方と秘書の2人だけの組織でした。
私が入社して2年目の時に、越後室長から「高井くん悪いけどオクラホマ州の副知事を京都まで連れて行ってくれないかな。朝、帝国ホテルに迎えに行って新幹線に乗せてくれるだけで良いよ。駅で京都府の役人に引き渡すだけで、ただ座っていればいいから。」と頼まれました。
(オクラホマ州と京都府は姉妹都市なのだそうです。)
「えっ何で僕なんですか?、仕事忙しいし、英語だってよく話せないし・・」と言いましたが、「本部長の許可は取っているし、君なら大丈夫だよ。」と言って全然聞いてくれません。
仕方がないので朝早くホテルに迎えに行ったら副知事と開発部長がロビーに降りてきました。「おはようございます。タクシーはこちらです」くらい言って車に乗せて、東京駅で新幹線の席まで案内すると、「コーヒーが飲みたいとか、日本の景気はどうかとか、富士山はいつ見えるのか」とか色々言ってきます。ただ座っていればいいなんて嘘でした。
さらに京都駅についたら京都府の副知事と公事室長などの偉い方が沢山ホームに来ていました。これで終わったと思ったら、黒塗りの車の1台に私もオクラホマの開発部長と京都府の公事室長と一緒に乗れと言います。
そして、その公事室長が「この季節は全国から修学旅行の学生が沢山きましてねえ・・」などと話します。へえそうなのと思って聞いていたら、「高井さんその様に彼に説明して下さい。」などと言います。英検2級の僕が通訳かよ、泣きたい気持ちになりました。
その後の京都ロイヤルホテルでの会食は、京都府側が「副知事、公事室長、秘書課長」の3人で、こちらがオクラホマ州の「副知事、開発部長と26歳の若造(私)」の6人で大きな個室での食事でした。幸いプロの通訳が付いたので助かりしましたが、緊張で何を食べているのかも分かりませんでした。
最悪なのはその後でした。オクラホマの副知事が私を呼びます。「何ですかぁ」と聞くと、「ある国会議員と急にアポが入ったので、午後のティセレモニーの予定をキャンセルするように伝えてよ」という話でした。ああお茶を飲むのを止めたいのね・・・
「秘書課長さん、副知事が午後のお茶会をキャンセルしてって言ってます。」と伝えたら、秘書課長の顔色が見る見る変わりました。「高井さん、お茶といっても裏千家の家元ですよ。これをキャンセルしたら私の首が飛びます。裏千家がどんなに権威があるものか貴方が責任を持って説明し、説得して下さい!」とすごい剣幕で叱られました。
「知らないよ、そんなこと。何で僕が裏千家の家元と国会議員の予定を調整しなくちゃいけないんだよ」マジで泣きたい気持ちになりながら、副知事に必死になって頼んだのでした。人間必死になれば何か伝わるんでしょうね。私の泣きそうな顔を見て分かってくれたみたいで、副知事が電話で国会議員の予定をキャンセルしてくれたのでした。
帰りの新幹線ではもう死んだように疲れていました。でも帝国ホテルまで送って行ったら2人が「Good Job!」的なことを言ってくれたのが凄く嬉しく感じました。そして、1人で有楽町のガード下でしこたま酒を飲みました。
翌日越後室長のところに文句を言いに行くと「さっきオクラホマの副知事から電話があって、高井君がとても良くやってくれたと喜んでいたよ。」と先に言われてしまい、何か、まあいいかなという気持ちになったのでした。
もう20年も前のことですが今でもその時の緊張感は忘れていません。これもシンクタンクのリサーチャーの仕事ですからね。今は楽しい思い出ですが無茶苦茶でしょう。
それは僕の仕事ではない、リサーチャーの仕事でないと言い続ければやらなくて済んだ苦労だったかもしれません。でも今は楽しい思い出になっていますし、多少は自分の成長に繋がったかなと思えたりします。
こういう泣きたくなる仕事が入ると刺激になってしばらくは退屈しなくなります。私もこの手の持ちネタは30件くらいありますので適宜紹介します。
皆はこんな嗚咽するほど緊張する仕事も、やってみたいですか?
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